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速水健朗のブログ

飛行機とフットボール

※『フットボールサミット』誌連載「すべての男の子の名前はジネディーヌ」第4回(2014年掲載分)

■飛行機事故で死ぬロック歌手とサッカー選手


バディ・ホリーが死んでロックンロールは終わったのさ」
 と言ったのは、ジョン・ミルナーである。1972年のことだ。ミルナーは映画『アメリカン・グラフィティ』に登場するキャラクターだが。
 1950年代に活躍したロックンローラーのホリーを殺したのは、飛行機だ。彼は、同じくロックンローラーのリッチー・ヴァレンス、そしてバンドのメンバーとともにツアーに出ている最中だった。本来は、バスでのツアーだった。だがスケジュールは厳しく、彼らは体力の限界に達していた。ホリーの着替え用の下着がなくなり、いらついていたという説もある。彼らが、遅れていたスケジュールを挽回するようにチャーターしたビーチクラフト社の4人乗り単発機ボナンザ35は、アイオワ州のトウモロコシ畑に墜落。ホリーらは命を絶った。
 20世紀の偉大な発明、いや人類史における偉大な発明のベストテンには、必ず飛行機の発明という項目が含まれる。だが飛行機の発明は、単に人が重力に逆らって空を飛べるようになっただけでなく、同時に長距離輸送の発明であり、軍事的にも大きな意味を持つ航空写真の発明であり、戦略爆撃、そして飛行機事故という大量死の発明でもあった。
 ドン・マクリーンは、『アメリカン・パイ』という曲の中で、この1959年2月3日のことを「音楽が死んだ日」(The Day the Music Died)と歌った。この歌は、マドンナもカバーしている。
 飛行機事故で死んだミュージシャンはたくさんいる。グレン・ミラー、オーティス・レディング、レイナード・スキナードの主要メンバー、坂本九、ジョン・デンバー、スティービー・レイボーン


Don McLean - American Pie (Good quality)

 

そして、サッカー選手もまた、飛行機事故によって死んでいる。1949年、アリタリア航空のACトリノの選手を乗せたチャーター便が墜落した「スペルガの悲劇」。1993年にザンビア空軍の輸送機が、ガボンの首都リーブルヴィルの空港を離陸直後に墜落した事故では、ザンビア代表選手全員が死亡した。ザンビアは、この悲劇を乗り越え、19年後の2012年に、ガボンで開催されたアフリカネイションズカップで初優勝を遂げる。この大会で決勝進出を決めたガボン代表は、リーブルヴィルの海岸で、事故の追悼を行い、決勝での勝利を誓ったという。
 今回のテーマは、飛行機とサッカーである。

ミュンヘンの悲劇マンチェスターユナイテッド


 サッカー史上最悪の悲劇とされるのが、1958年2月6日の西ドイツのミュンヘン、リーム空港で起こった航空機事故だ。
 マンチェスター・ユナイテッドは、レッドスター・ベオグラードとのチャンピオンズカップの試合を3対3で引き分け、準決勝進出を決めたばかりだった。この試合に出場したボビー・チャールトンは、前半に3点取ったものの、凍り付いたピッチでの試合に手こずり、後半に3失点を喰らってしまったとこの試合を振り返る。
 その帰りのチャーター機は、給油のためにミュンヘンに立ち寄った。この日のミュンヘンは大雪だった。事故機の写真には、大雪で埋もれる大型プロペラ機墜落機の姿が映っている。2度の離陸に失敗したユナイテッドのチャーター機は、3度目の離陸を試みた際にフェンスに激突した。これによってユナイテッドの選手8名、スタッフ3名、他にも同乗していたジャーナリストたちの命が失われる。また、このチームの監督だったバスビーも重傷を負った。
 大雪にもかかわらず、無理な離陸を試みた理由は、チームがスケジュールを強行させたためだ。当時のイングランドのサッカー協会は、ユナイテッドが海外のカップ戦に参加することを快く思っていなかった。国内リーグの日程を優先させたかった協会と、その合間を縫ってチャンピオンカップに参戦したユナイテッドの仲はよくなかったのだ。
 ユナイテッドの選手を乗せたチャーター機は、そんな無茶なスケジュールを遵守するために、飛び立たざるを得なかった。バディ・ホリーたちがスケジュールのため、本来バスだったツアーを飛行機に変更したのと同じである。強行日程の遂行が悲劇を生んだのだ。
 ちょうどこの原稿を書いている間に、こんなニュースも飛び込んできた。「ミュンヘンの悲劇」から生還した元主将のビル・フォルケス氏が81歳で死去したという。フォルケスが、真っ二つに折れてあちこち炎上する機内から生存者を運び出す救助活動を行った英雄である。それは、やはり事故の生還者であるチャールトンが、証言している。チャールトンは、事故後に機外に放り出され、15分ほど気を失っていたという。
 飛行機事故でバディ・ホリーが死んで、ロックンロールは終わったかも知れないが、ユナイテッドは終わらなかった。この年のチャンピオンカップを制するはずだったユナイテッドは、チャールトン、フォルケスらを中心に10年かけてチームを立て直し、1968年にその夢を果たすことになる。

■胸スポンサーと業界の変遷

 こうした悲劇を乗り越えた現代においては、サッカーチームと航空会社の関係性は、より深いものになっている。国境を越えたグローバルなビジネスである航空会社が、国境を越えた知名度を持つ人気サッカークラブのスポンサーになり、宣伝に利用しようというのは、至極当たり前のことなのだ。
 サッカーにもっとも力を入れているのは、アーセナルやACミランパリサンジェルマンといった世界の有名サッカークラブのユニフォームの胸スポンサー契約を結んでいるUAEのドバイを本拠地とする航空会社であるエミレーツ航空だ。エミレーツ航空は、世界最大の豪華旅客機A380を総計一〇〇機体以上注文するなど、豪勢なことで知られ、創業は1985年とまだ新しいが、すでに世界最大の輸送能力を持つ航空会社に成長した。
 一方、マンチェスターシティのユニフォームの胸スポンサーであるエティハド航空は、ドバイと同じUAEのアブダビを本拠地とする飛行機会社だ。これに、カタール航空を加えた中東の3大航空会社は、裕福な国家の援助を背に、航空業界の規制緩和によって自由化された(「オープンスカイ」政策)世界の空を制しようとしている。
 朝日新聞の稲垣康介編集委員は、胸スポンサーにかんして、面白い記事を書いている。それは、「経済のグローバル化で、有名サッカークラブの胸スポンサーは時代を映し出す鏡になった。トレンドの最先端で競争をが激しく、資金も潤沢な業界はどこか」という中身の記事である。
 この記事によると、かつて強かったのは日本の家電メーカー。マンチェスター・ユナイテッドといえば、昔はシャープのロゴを胸に付けていた。エリック・カントナがユナイテッドの背番号7を付けていた時代である。
 1990年代の初頭。セリエAダイジェスト以前の時代だ。テレビ東京が海外サッカーの情報番組として、マンチェスター・ユナイテッドの試合をダイジェストで放送するのが精一杯という時代。日本の海外サッカーファンと言えば、みなユナイテッドファンだった。
 カントナをグーグル画像検索すると、シャープの胸スポンサーの写真ばかりが並ぶ。稲垣委員の記事によると、「HITACHI」「JVC」「SONY」「Panasonic」「NEC」「OKI」など、「グローバル戦略に乗り出す日本の電機メーカー」が海外の強豪サッカーチームのユニフォームをスポンサードしていたという。確かにそうだった。
 それがベッカムとユナイテッドで画像検索をかけると、まだ彼が髪が長くて子どもっぽい時代の写真には「SHARP」の文字が、髪を短くして精悍な感じになってからは「vodafon」の文字が刻まれている。
 ユナイテッドは、1999年でシャープとの18年間のスポンサー契約を終了させると、今度は携帯電話キャリアボーダフォンと契約を結んだのだ。この携帯電話会社は、シャープの3倍の契約金を払ったという。同じ時代、バイエルンミュンヘンは、ドイツテレコム、レアル・マドリードは、ドイツのシーメンスだったという。
 家電メーカーから携帯電話会社へ。お金を持っている業種は変遷した。そして現代は、中東の航空会社である。考えてみれば、サッカーチームの胸にスポンサードするのに航空会社は適任だ。

バルサとユナイテッドのメンバー出演CM


 ちなみにエミレーツは、今期からレアルマドリードの胸スポンサーの契約を交わした。また、カタール航空は、総額1億3800万ユーロという高額を支払い、バルセロナの胸スポンサーの座を得ている。
 つまり、現在のエル・クラシコは、中東の航空会社の代理戦争の場と化したのだ。
 バルセロナのスポンサーとなったカタール航空が製作した、バルセロナのメンバーを用いたCMが話題になっている。
 これは、カタール航空の飛行機がバルセロナ諸島という架空の国に降り立つという趣向のもの。ツーリストに扮するのはネイマールで、彼のパスポートに判子を押す入国審理官はピケ。イニエスタは街の壁画を描く職人(ペンキ屋の作業着がかわいい)で、バルサカラーでペイントされたタクシーを運転するのはOBのギャリー・リネカーだ。プジョルはこの国のマンガのキャラクターとして、ポスターになっており、メッシはなぜかダンス教室のインストラクター。
 こうしたCMで思い出すのは、2010年にトルコ航空がつくったCMである。
 アンデルセンやエブラ、ファビオとラファエルの双子らが機内でボールを蹴って遊んでいる。見せ場は、ベルバトフの足技だ。そして、調子に乗ったルーニーが、強く蹴ってしまったボールの向かう先には、ボビー・チャールトンが読書をしている。
 ボールはぶつかるすんでのところで、ファン・デルサールが大きな手でブロックする(デ・ヘアでなくてよかった!)。ふう、ひと安心。こうした遊び心のある企画はおもしろいが、人気選手が全員使えるわけではない。契約更新が迫った選手の場合、CMが流れる頃には移籍でいなくなるというリスクもある。このユナイテッドのCMもたかだか3年前だが、すでに、いなくなった選手も数名いる。

 

■空を飛べないオランダ人


 ちょっとおどろくのは、このCMの最後のオチで使われるのが、ボビー・チャールトンであるという部分だ。これが、アレックス・ファーガソンではなかった理由も気になるが、それ以上に、航空機事故の被害者であるチャールトンが飛行機に乗って平然と読書をしているという内容の航空機会社のCMに出演することに抵抗はなかったのだろうか。
 彼は飛行機嫌いになることなく、事故を克服したのだろう。
 飛行機嫌いのサッカー選手として有名なのは、元オランダ代表のデニス・ベルカンプ。彼は、アーセナル所属時代、アウェー戦やカップ戦でチームメイトが飛行機で移動する中、クルマで10数時間かけて移動していた。そして、ときにはその移動の大変さを理由に遠征への帯同を拒否することも少なからずあったという。
 このベルカンプの飛行機嫌いの理由には諸説ある。友人を飛行機事故で無くした説。もうひとつは、以前飛行機で爆弾テロ騒動に巻き込まれたというもの。真偽の程はわからない。
 ベルカンプの生涯を通したプレーのなかでも、ひときわ鮮明に思い出されるのは、1998年のワールドカップでのアルゼンチン戦。ゲーム終了間際にフランク・デ・ブールからの約70メートル級のロングパス(このパスがまたすごかった)をぴたりとワントラップで止め、次のタッチでディフェンダーを交わし、右足で決めたゴールだ。この大会での輝きは、舞台がフランスだったことが大きい。なぜなら飛行機に乗る必要がなかったのだから。
 ベルカンプは、2002年の日本でのワールドカップ開催の前に代表引退を発表する。当時、皆ベルカンプは日本には行けないだろう(「物理的に」)と思っていた。まさか船で来るわけにもいかないし。そして、それはまさに現実となった。さらには、ベルカンプ抜きのオランダは、予選すら通過することはできなかったというオチも付いた。
 アーセナルファンも、オランダ人も皆、口をそろえて「ベルカンプが飛行機嫌いじゃなかったら今ごろ……」と思ったことだろう。だがそれはディエゴ・マラドーナエリック・カントナが人格者だったら……というのと同じことだ。飛行機嫌いとベルカンプという才能は、2つで1つのものなのだ。