セナと聖子で一瞬だけ垣間見た丘の上の景色

 かつて日本が経済大国だったことは、すでに忘れられて久しい。しかし、この20年の停滞を迎える直前の日本は、世界と肩を並べる夢を見ることができる坂の上に一瞬だけ立っていたことがあった。
 太平洋戦争における敗戦の理由を「ものづくり」、もっと正確には生産技術にあることを思い知ったこの国のエンジニアたちは、戦後に生産管理の技術をアメリカに学び、日本は約30年の月日をかけて工業製品の分野で世界と肩を並べる存在となっていく。
 1970年代後半から、「日米貿易摩擦」「ジャパン・バッシング」の時代を迎える。日本の貿易における優位の理由を通貨にあるとしたアメリカは、日本に事実上の円高を引き受けさせた。1985年のプラザ合意である。それでも「メイド・イン・ジャパン」の侵攻は食い止められなかった。時の首相である中曽根康弘は「アメリカ製品を買いましょう」と、デパートで買い物をするパフォーマンスを披露した。当時の日本は、世界一の経済大国であるアメリカと肩を並べていると強く実感していた。
 そんな中で、日本企業は世界で影響力を持つ存在になっていた。
 `83年にF1復帰を果たしたホンダは、1980年代半ば以降のF1界をリードする存在となっていく。そして、1987年にアイルトン・セナ中嶋悟をドライバーに擁したロータスにエンジンを提供。そらに、翌年、セナがマクラーレンに移籍を果たすと同時に、ホンダはマクラーレンにエンジン提供を始め、あの栄光の「マクラーレン・ホンダ・セナ」体制が誕生するのだ。
 この頃の日本企業の奮闘を、いまの視点で振えると、おもしろい光景が見えてくる。
 ホンダと並ぶメイド・イン・ジャパンの雄であるソニーは、`88年にアメリカの大手であるCBSレコードを買収、翌年にはコロムビア・ピクチャーズを買収した。工業製品でのし上がったソニーは、ここに来てソフトウェアでの世界戦略へと路線を転向したのだ。
 この頃から世界経済をリードする存在が、工業から、サービスやエンターテインメント、そして金融へと転換しようとしていた。わかりやすく言うと、世界経済の中心は、ハードウェアからソフトウェアへと転換したのだ。
 この時代においてソニーは、日本発のソフトとして「SEIKO」を売り出しにかかる。そう、あの松田聖子だ。ソニーは、買収したCBSの所属グループの人気アイドル、ニューキッズ・オン・ザ・ブロックのメンバーでデュエットという抱き合わせを施した上で、アメリカ市場に売り込んだのだ。
 ナンバーワンのソフト企業になったからには、同国のトップ歌手の松田聖子を売り出したい。当然の期待である。日本で通用する歌手が、世界で通用する。そんな想いが、当時の日本人が見た夢だった。だが失敗。ソニーのソフトによる世界戦略は成功したが、日本人の歌手の発進という試みには敗れた。当時のソニーの躍進を支えた歌姫は、SEIKOではなく、マライア・キャリーが担うことになった。
 一方、同じように世界市場におけるホンダの試み、つまりF1という究極のモータースポーツの世界において成功を収めた。それもやはり日本人である中嶋悟ではなく、アイルトン・セナによって成し遂げられたものだった。
 「マクラーレン・ホンダ・セナ」体制の大成功は、日本が世界の高見に立てた瞬間である。セナは、日本が世界に肩を並べようとした時代の頂点で、オールジャパンの夢を背負ったヒーローだった。マイク・タイソンマイケル・ジョーダンは他国のスターだが、日本人にとってのセナは特別な存在だった。
 ただし、アイルトン・セナが見せてくれたその高見は「垣間見る」ことしかできないものでもあった。
 アクティブサスペンションという、コンピューターの制御によって車体の姿勢をコントロール技術が導入され、グランプリの勝利を握るのは、エンジン性能やドライバーの技術ではなく、コンピューターであるという時代がやってくるのだ。
 ホンダのF1撤退、そしてセナ時代の終わりは、こうしたソフトウェア時代の到来とともに訪れた。
 セナがF1の舞台で活躍した1987〜1994年は、日本では、バブル経済の時期、そしてそれが崩壊したが、まだ日本が経済大国であると人々が信じられていた時期に当たる。
 セナが死んだ翌年の1995年、日本は阪神淡路大震災オウム真理教による地下鉄サリン事件という大規模テロ事件に直面し、「これまでどおりにはいかない」ということを突きつけられる。デフレに突入し、本格的な長い不況が始まるのは、この直後のこと。
 「マクラーレン・ホンダ・セナ」の全盛期である1988、89年の日本の1人当たりのGDPランキングは、世界3位にイチしていた。その後、2000年代以降、10位以下を低迷することになる。
 さて現代。世界一の販売台数を誇る自動車メーカーは日本に存在する。サッカーでも野球でも、日本人が世界の一流チームで当たり前に活躍する時代。経済大国としてのプレゼンスを失う一方で、日本は個別の戦いで勝利を収められる国になった。世界は、かつてよりも複雑になった。そして、日本が世界と肩を並べることに、誰も夢をみなくなったのだ。(加筆)

 

初出:『Number』2014年5月 アイルトン・セナ特集