歴史改変SFとしての安室奈美恵の引退宣言

 

 安室奈美恵の引退という現実の出来事について考える前に、タイムスリップというSF的な非現実について考えてみたい。
 人類絶滅を目前に控えた未来から現代の世界に送り込まれてきた時空を超えたエージェントTー800。アーノルド・シュワルツェネッガー演じるアンドロイドの目的は、のちに人類を救うジョン・コナーという少年を守ることだった。過去の出来事の改変。映画『ターミネーター2』のプロットである。


 もし、今の日本の「国難」を救うために、過去のどこかの時代にエージェントを送り込めるとしたら、日本の過去のどの瞬間を選ぶべきだろう?


 現代の日本が抱える難題とは、「少子高齢化問題」である。団塊ジュニア世代が適齢期を迎えた時代に子どもを産み控えしたのが問題だった。となればタイムマシンを送る先の時代は、20年前である。

 その時代に誰か、価値観を大きく変える力を持つ”ジョン・コナー”的な人物、当時の日本人の意識を変えるロールモデルになるべき人物を送り込めばいい。ロールモデルとは、人びとが無意識に模倣してしまう相手のこと。つまり、当時の人びとが結婚・出産に憧れるような事件を起こせばいいのだ。


 何が言いたいのか、わかっていただけただろうか。

 安室奈美恵が突然、衝撃的なSAMとの結婚・妊娠を発表したのは、1997年10月のこと。彼女は歌手としての休業を宣言する。この結婚は「できちゃった婚」だった。安室が出産した1998年の時点での「でき婚」率(結婚前妊娠率)は、20%弱。その後急上昇。ついに、2005年には25%となった。現代では、4組に1組の夫婦が「でき婚」である。
 安室奈美恵の結婚以降、「でき婚」は「あり」と社会通念が変わった。因果は明確ではないが、この直後に日本の少子化を示す数値は一定程度変化もした。

結婚、出産の順番が正しい家族の在り方な訳はない。どっちが先でも、籍があってもなくても同じように子育てができる社会の方がいい。あの時代、安室がいたことによって日本の社会は、一歩前に進めたのである。


 そう、安室奈美恵は、未来の世界から、日本の人口問題を解決するため、時間を超えて送り込まれたターミネーターである……。


 というのはもちろん与太話なのだが、それくらいの衝撃は、あの引退宣言にはあったのではないか。実際のところ彼女の宣言が「私はタイムトラベラー。未来の世界に帰ります」というものだったとしても、驚きの程度は引退のそれと変わらない。

「恋愛禁止」がルール化されたアイドルグループがいる時代よりも、90年代の方が進んでいた。1人の歌手が、社会通念を変える。そうあることではない。ミスチルやB'Zだって社会を変えてはいない。もちろんゆずやコブクロも。でも安室奈美恵は変えたのだ。


 ただし、残念なことに時間旅行者は、重大なタイムパラドックスを引きおこす前に未来に戻らなくてはならないのだ。
 安室奈美恵の引退とは、重大なタイムパラドックスを回避するためのもの。未来に帰るまでの猶予は1年間である。

初出『UOMO』2017年連載コラム(一部書き換えている)