「エマニエル夫人」は乗りもの映画である~もちろん二重の意味において【後編】


■知られざるその後のエマニエル

さて、大ヒットした映画『エマニエル夫人』には多くの続編が作られている。シルビア・クリステルが主演を努めるシリーズとしては、翌年に公開された『続・エマニエル夫人』さらに『さようならエマニエル夫人』がある。前者は、舞台が香港になり音楽はフランシス・レイに、後者は舞台をセイシェル島に移し、音楽はセルジュ・ゲンズブールになる。だがまあ、それ以外に特に語るべきことはない。

以後、エマニエルは全身整形を行ったという無茶な設定の下、主役を別のポルノ女優に切り替えて作られたシリーズも作られた。モニーク・ガブリエルがエマニエルとなる『エマニエル ~ハーレムの熱い夜~』では、無意味に銃撃戦を繰り広げるなどの荒唐無稽なおもしろさはあるが、これらも特に語るべきことはない。


だが、その後に制作された『エマニュエル・ザ・ハード』のシリーズには触れておきたい。フランスで1991年から放送された『エマニュエル・ザ・ハード』は、なんとテレビシリーズとなったエマニエルである。テレビと言っても、「ザ・ハード」というだけあって、映画版よりちょっとだけエロ度は高いかもしれない。

その第1話は、冒頭、オリジナル『エマニエル夫人』を意識し、飛行機が滑走路から飛び立つシーンから始まる。飛行機とソフトフォーカスと、フランス語ボーカルの音楽がかぶされば、誰が撮ってもまあエマニエルになるのだ。

テレビ版のエマニュエルは、20年前に“愛”を知ったバンコクへと再び旅立つ。といっても、このエマニエルを演じるのは、シルビア・クリステルではなく、別の女優。あれから20年ということは、エマニエルは40才になっているはずだが、彼女の見た目はまだ若い。これは、のちに示されるのだが、実はエマニエルは永遠の命を手に入れていたのだ。

飛行機の中で、エマニエルはかつて性への導きを受けた(と言っても、アヘンを吸っただけだけど)マリオに出会う。彼女は自分があのときのエマニエルであることを伝えるが、彼はそれを信じようとしない。どうみても年齢があっていないからだ。エマニエルは、自分が今の若い姿を手に入れた経緯を、回想として話始める。

■『エマニュエル・ザ・ハード』と大乗仏教

エマニュエルは、バンコクでマリオに官能の世界に導かれ(何度も言うが、アヘンを吸っただけ)たのち、ファッション業界にすすみ、そこで成功を収めた。だが、そのファッション業界に疲れたエマニュエルは、チベットの山奥の寺院で修行に出かける。日本の疲れたOLの禅寺で精進料理を食べるオプション付きのパワースポット巡りツアーみたいなものである。

エマニュエルは、チベットの寺院に滞留中、そこの老僧によって永遠の命を与えられることになる。具体的には、胸に垂らすとどんな女性にでも変身できる「秘薬」が与えられたのである。この秘薬を使えば、エマニュエルは若いままの姿でいることができ、他の女性の魂に入り込むこともできる。ただし、この秘薬の効果は、彼女に与えられた「使命」に逆らう行為をすると切れてしまう。「使命」とは、「皆を幸福にする」というものだという。

秘薬によって若返ったエマニュエルは、やはり若返った老僧と対面座位によるセックスを行う。このシーンには、チベット展で見たような6本うでの仏像のカットが、セックスのシーンと交互にカットバックで使われる。これを他の宗教の神像でやったら、たぶんカンカンに抗議を受けるだろう。チベット仏教は寛大である。


そんなチベットでの体験を飛行機の中でマリオに話して聴かせるエマニエル。マリオはもちろん信じない。すると、エマニュエルはトイレで本当の自分の姿に変身してマリオの前に現れる。ここで登場するのは、滝川クリステルである。間違えたソフトフォーカスをたっぷりかけても、まったく誤魔化し切れていない40歳をひかえた本物のシルビア・クリステルである。

二人は20年の時を隔てた再開にシャンパンで乾杯し、再び彼女の昔語りが始まる。彼女が秘薬を得て、最初にセックスをした相手は、チベットのホテルの手違いから同部屋になってしまった青年・ファルコンである。彼はのちに、ロックバンドで成功。エマニエルは、彼のバンドのライブ会場を訪ね、10年ぶりの再会を果たす。

ロックのライブ後、控え室ではメンバーたちが「ファルコン、今夜のおまえは最高だったぜ」みたいな、漫画『NANA』でも言わないようなロックバンド然とした会話を交わしながら、楽屋でメンバー同士セックスをしまくっている。だが、ファルコンを片隅から眺めている女の子がいる。彼女は、バンドに付いている料理番である。あこがれのファルコンに近づくために料理をしているのだ。だが、ファルコンは彼女の料理に口を付けない。彼女は自分が好かれていないと思い込み、落ち込んでいる。

実はファルコンは、彼女のことがきらいなのではなく、アメリカのジャンクな食べ物が好きなだけだったのだ。それに気づいたエマニュエルは彼女の魂に入り込み、ジャンクフードを持ってファルコンの部屋へ行き、誘いをかける。

2人はばっちり仲直りをしてセックスをする。これで、エマニュエルは、人を幸せにするという「使命」を果たすのだ。ここから「真理と美と愛」を追求するエマニュエルの旅が始まる。以後、このシリーズは、香港、ギリシャ、カンヌ、アムステルダムと、エマニエルの性の諸国漫遊の旅として続いてゆく。

チベットでの高僧からもらった秘薬で、世界を奔放な性の楽園に変えていこうとするエマニュエルは、行く先々で、享楽の限りを尽くし、セックスによって人々を救っていく。これは、苦の中にあるすべての生き物たちを救いたいという精神を基にした大乗仏教の教えをベースに置いているのだ。

さらに「大乗」とは、偉大な乗り物を意味する。飛行機でのセックスしちゃうのも、まさに大乗ならではのことなのだと納得。なんか、罰当たりなことを書いているようだが、そういう話なのだから仕方がない。

■飛行機と通過儀礼

最後に、もう一度このシリーズの原作者(としてクレジットされる)であるエマニュエル・アルサンについて触れておきたい。

16歳の若さでフランス人と結婚し、タイを離れて人生を歩むことになった彼女の境遇からは、まだ性的な経験の皆無であった若い妻を自分の思いのままに染めていく男の身勝手な願望を読み解くことができてしまう。フィクションである『蝶々夫人』について論じられるような、西洋と東洋の間の不均衡な植民地主義的な権力関係もそこから読み取るのは容易である。だが一方で、そういった枠の中だけに彼女の人生を押し込めてしまうのもまた暴力である。あの時代にタイを飛び出し、西洋の教養を身につけ、彼女が本当にこの小説の著者であったかどうかは別として、『エマニエル夫人』を記す、もしくはそのモデルになった彼女の人生はとても興味深いものでもある。

旅行というのは、ヨーロッパの貴族の風習においては、子どもの内に多くの経験を摘むための修行であり、大人になるための通過儀礼であった。“旅の恥はかきすて”という慣用句にも現れているように、そこでの“性的”な儀礼もまた付きものである。

その意味で、エマニエルの原作小説が、飛行機の機内の描写から始まるというのはとても示唆的である。そしてまた、機内の場面において、彼女が夫以外の男と初めてのセックスを行なう儀式的なものであったことも重要だ。映画においては、途中、回想として差し込まれたあの飛行機でのラブシーンである。

16歳で結婚し、タイを出た彼女が最初に見たであろう、西欧文明に満たされた空間が飛行機の機内であった可能性は高い。エマニュエル・アルサンが結婚した1940年代は、長距離国際線がようやく確立し始めた時期だ。さらに、結婚から10年が経ち、小説『エマニエル夫人』が刊行された50年代末は、ボーイング707DC-8といったジェット旅客機での飛行機旅行が普及し、飛行機での旅行が一般化した時期だ。こうした現代における国際間移動の手段であり、東洋と西洋の間を植民地主義の時代よりも遙かに早く移動可能にした飛行機は、エマニエルシリーズにおける、もっとも重要なアイテムである。

そして、もちろん彼女にとっての飛行機での旅行、また、そこにおいてのセックスは(実際にしたかどうかは別として)特別な通過儀礼であった。本稿で、飛行機のシーンととソフトフォーカスと、フランス語ボーカルの音楽さえあれば、エマニエルになるということを書いたが、まさにエマニエルシリーズにおいて、飛行機は彼女に次ぐ主役となっているのだ。

『エマニュエル・ザ・ハード』の冒頭にはシャルル・ド・ゴール国際空港のエスカレーターが登場する。この空港は、円形のターミナルやガラス張りのチューブ状エスカレーターが縦横無尽に走る世界一美しい空港である。シャルル・ド・ゴール国際空港の開港は、1974年3月のことで、『エマニエル夫人』がフランスで最初に公開された3ヵ月前のことだった。もう少し早ければ、映画でも使われていたかも知れない。

エマニエルのイメージが強いシルビア・クリステルのその後の女優としてのキャリアは、ぱっとしたものではなかった。『プライベート・レッスン』や『チャタレイ夫人の恋人』での役割は、エマニエルの焼き直しに等しいものに映る。

ただ、唯一目立った出演作である『エアポート'80』は、まさに飛行機、飛行場を舞台とした映画であった。この映画で彼女は、コンコルドのスチュワーデスを演じている。彼女たちが乗ったコンコルドは、戦闘機の追跡を受けながら、ニューヨークからパリの空港へ向かう。そして、目指したは、シャルル・ド・ゴール国際空港だった。

空港は映画の中での目的地でもあるのと同時に、女優としてのシルビア・クリステルの出発地でもあった。彼女にとっても、飛行機の中でのセックスシーンは、人生において大きな意味を持った通過儀礼だったことは間違いない。

 

*この原稿は、2012年10月18日にシルビア・クリステルさんの死を知り、かつて『BOOTLEG VOL.02』に掲載したものに加筆しブログにアップしました。ご冥福をお祈りいたします。