ユーミンとコンテナリゼーション

 荒井由実の`74年のアルバム『MISSLIM』の収録曲『海を見ていた午後』には、実在するレストランが登場する。

♪山手のドルフィンは 静かなレストラン 晴れた午後には 遠く三浦岬も見える♪(作詞:荒井由実

 このレストランは、眼下に横浜港が一望できる、いわゆる山手の丘の中腹の見晴らしのいい場所に位置する。

ソーダ水の中を 貨物船がとおる 小さなアワも恋のように消えていった♪

 消えてしまったヒロインの恋は、ここではどうでもいい。注目すべきは貨物船だ。当時の横浜港は、世界的な物流革命の真っ只中にいた。

 20世紀の半ばに登場した物流の効率化のために生まれた箱であるコンテナが、真にその価値を示すのは`60年代末から`70年代にかけて。きっかけはベトナム戦争だ。大規模な戦闘員をベトナムに送り込んだアメリカは、多量の物資搬送の必要に迫られる。米軍は、この戦争には負けたが、新しい物資輸送の手法をものにしたのだ。

 決め手はコンテナサイズの共通化。それまでサイズがバラバラだったコンテナだが、この機に、20、40フィートと規格が定められる。それにあわせてコンテナ、コンテナ船、運搬用列車やトレーラーが作られていく。貿易港も、コンテナに特化したクレーンや倉庫が発展の決め手となった。コンテナの規格化が世界を変えた。

 古くから貿易港として発展してきた横浜港も、コンテナ化に乗り出すことで、貿易の拠点としての世界的地位を築いていく。だが昨今は、中国やシンガポールの発展に伴い、コンテナ港としてのプレゼンスは低くなってしまった。2016年のコンテナ取扱量の世界ランキングでは、東京や神戸よりも下である。

 コンテナによる物流革命を“コンテナリゼーション”と呼ぶ。恋愛ソングの神様と呼ばれるユーミンだが、この歌では図らずも海運業界の世界的変化の時代の皮切りを描いていたのだ。

 

コンテナ物語

コンテナ物語