東京砂漠のマンション興隆記

 最近、ダイアパレスのCMを見る機会がない。こんなCMだった。場所は夜の屋上。超高層ビル群を背景に、3人のサラリーマンがバスケットボールをしている。音楽は、内山田洋とクール・ファイブの『東京砂漠』。


CM ダイア建設 ダイアパレス 東京砂漠


 シチュエーションは変わっても、CMソングは、約20年間変わらなかった。記憶の限りでは、2000年頃まではオンエアーされていたはずである。
 まったくおしゃれではないが、都会特有のうらさびしさを表現していた名CMだった。♪あなたの傍で ああ 暮らせるならば つらくはないわ この東京砂漠♪という歌も、これ以上なくマッチしていた。
 `60年代はまだマンションとは富裕層が住む場所だった。それが、一般の給与所得者にも手に入るようになるのは、`70年代末以降のこと。ライオンズマンションの大京ら新規デベロッパーが流入し、マンションの大量供給が始まった。超長期低金利の住宅ローンが普及したのもこの頃のこと。物価上昇に助けられ、同時に給料が上がっていく中で気軽にローンも組めた。一億総マンション時代。
 ダイアパレスはまさに、このマンションブームの波に乗って成長した企業である。

 バブル期の東京の都心には、多くのマンションが建てられたような印象があるが、実は勘違いだ。東京のマンション供給戸数は80年代前半は3万戸で推移。バブル期には2万個台まで落ち込む。都心部はオフィス需要が高まったが、規制などでそうおいそれとオフィスビルを建てることも適わなかった。投機に向いたワンルームマンションも売り出されたが、あまりに高騰が早すぎて、一般庶民には手が届かなかった。

マンション供給戸数はその後、`95年より再び上昇し、以後は`06年まで供給戸数は右肩上がりに成長する。この新マンションの供給が、つまりは湾岸のタワーマンションを生み出す。規制緩和に伴うマンションの供給増で地価が抑えられ安定すると、人々はマンションを次々購入し、再び都心に人々が戻ってきたのだ。
ダイア建設も経営が傾き、`08年に民事再生法の適用を申請。大和地所の子会社となった。その後も新CMを展開しているようだが、すでに『東京砂漠』は使われていない。いい曲なのにね。