『ONE PIECE』論

「海賊王に!!! おれはなる!!!!」と言ったのはモンキー・D・ルフィだが、「海道一の大親分に!!! おれはなる!!!」と言ったのは、清水次郎長である。初めて『ONE PIECE』全巻を一気に読んだとき、真っ先に頭に浮かんだのは、子どもの頃に父からカセットテープを譲り受け、何度も繰り返し聞いた浪曲師2代目広沢虎造の次郎長一家の物語だった。


 移動の自由すらなくまだ身分制度が固定された時代に、自由気ままに旅から旅へと流れ歩いた渡世人=博打打ち集団は、ワンピースの世界で言う海賊のような存在だ。そして、大政、小政、豚松に石松と少数精鋭の個性的なばくち打ちたちのキャラクターが魅力の清水一家は、ルフィ、ゾロ、ナミ、ウソップ、サンジ、チョッパーらのルフィ一味のようである。ちなみに、主人公のルフィは次郎長ではなく、『次郎長伝』の最も愛すべき存在、喧嘩が強くて馬鹿正直で義理堅い森の石松だろう。


「次郎長伝」は、戦前の日本で最も人気のあった、今で言えばまさにONE PIECEのようなコンテンツだった。当時のナンバーワン浪曲広沢虎造が次郎長の演目をやるときは、近所の風呂屋は空になったという。戦前の1930年代は大衆消費社会の始まりの時期。戦前と現代の最高のエンターテイメント作品の間には、意外と接点は多いのだ。


 1997年に『週刊少年ジャンプ』にて連載が始まり、今年(*2013年当時)で16年目に突入。コミックスの通算売り上げは、2億8000万部という、出版不況と呼ばれる昨今の事情を軽く吹っ飛ばすONE PIECEの人気の秘密を、この作品を読んだことのない人たちにもわかるように考察するというのが、本稿のミッションである。

■ヤンキー漫画とONE PIECE

 ONE PIECEは、麦わら帽子に短パンの主人公ルフィが仲間を集め、海賊船に乗って宝探しに出かける物語だ。海賊王ゴールド・ロジャーが、死に際に「ONE PIECE」と呼ばれる、富、名声、力をひとつなぎにする「宝」の存在を示し、そこから世界は大海賊時代を迎え、海賊たちが暴れ回る世界がやってくる。

 さて、過去のあらゆる漫画の中で、最も売れている人気作品ONE PIECEだが、決して万人に愛されている作品ではない。好きな人は好き、嫌いな人は嫌いと、はっきり評価が分かれるところがある。その分断のポイントははっきりしている。

 お笑い芸人で大学講師でもあるサンキュータツオによると、この作品のファン層とは、「ワンピースを卒業したらEXILEに流れるような人たち」なのだという。自身がアニメオタクである彼は、1人で世界と向き合う『エヴァンゲリオン』には共感するが、仲間と一緒に世界を旅するONE PIECEには乗れない派だ。同じ立場を示すのが、アニメオタクのタレントの原田まりる。彼女は「友だちのいなかった私には理解できない世界」がワンピースだという。ONE PIECEは、おたく層とは相性が悪いのだ。

 精神分析医の斎藤環もこれに近い見解を示す。斎藤は、ONE PIECEの人気とは、「“ヤンキーの1人も出てこないヤンキー漫画”を極めた」ところにあると考えているという(『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』)。一見、海賊が登場するファンタジーの世界のようだが、登場人物たちの行動原理や美学は、反知性主義、積極行動主義に代表されるヤンキー的なものとして説明できる。読んでいる層は、基本的にはそれを受け入れられる層ということだ。

 漫画評論家の紙屋高雪も、バトルを物語の中心としながら主人公が強くなる過程を描かないONE PIECEは、ヤンキー漫画であると指摘している。『ドラゴンボール』の孫悟空は、修行で自らの戦闘力を向上させていく。だが、ヤンキー漫画で登場人物の喧嘩の強さは、気合いや根性といった「非科学的要素」で決定づけられるのだ。ONE PIECEは、後者であるというのが、紙屋の主張だ。

 このようにワンピースの影、もしくは根っこにある「ヤンキー性」を、多くの論者が指摘しているのだ。そうとわかれば、ONE PIECEがこれだけ売れるのは納得できる。ヤンキーは、一部のマニアの集合体であるおたくマーケットと違って、一枚岩に近い巨大なマスマーケットだ。浜崎あゆみもTSUTAYA書店もケータイ小説ドンキホーテもディズニーランドも木村拓哉もJポップのレゲエカバーCDも『○型自分の説明書』もエルグランドもラウンドワンも、基本的にはこの国のもっともマジョリティ=ヤンキー的消費層によって消費されているヒット商品である。

 確かに、ヤンキーと仲間というマッチングはしっくりとくる。ルフィたち海賊が「仲間」を重視するのは、暴走族を形成したり地域の祭りで盛り上がるヤンキー的な世界の特徴とよく似ている。次郎長一家のような渡世人の世界でも、仲間は重視される。親兄弟の杯を交わすというシステムは、仲間を家族レベルに強化するための仕組みである。海賊も渡世人も、境界的存在であり、国家権力によって守られない存在。仲間との絆とは、敵の多い世界で身を守る術、つまり安全保障上の理由によるものなのだろう。

ONE PIECEの組織論

 もうひとつ、ワンピース論でよく言われるのが、その組織の在り方についてだ。
 会社員にありがちなことだが、組織の一員であることが目的化すると、個々の意欲や仕事の質は低下する。だが、個々に目的を持って組織に参加しているルフィたちにそれはない。ルフィの目的は、海賊王になることだが、ゾロは世界一の剣豪になる夢を適えるプロセスとして、ルフィの仲間になっているし、ナミは、世界中の海の海図をつくるために海賊の仲間になっている。個々に意思決定を行うリーダーなしでも動ける「ヒトデ」的な組織体。ワンピースを組織論として語ると、だいたいこんなところだろう。
 以上で分析終了。というのでは、他人のふんどしで相撲を取ったに過ぎない。ここからは、もう少しだけその「支持される理由」について掘り下げてみた。

 ONE PIECEは、少年マンガの王道という評価がされることが多い。夢と友情で結ばれた主人公とその仲間たちが、敵を次々とやっつけていくという部分を観れば、確かにそうだ。だが、僕が本作に見いだしたおもしろかった部分とは、主人公と仲間たちではなかった。むしろ興味深かったのはむしろ敵の描かれ方だ。
 一見、種族・能力として強い敵を次々と描いているようにも見えるが、『ドラゴンボール』が、ナメック星人サイヤ人といったように、種族として敵の強さのインフレを起こしていったのとは違う。ONE PIECEにおける敵は、組織の構造として強くなっていくのだ。


ONE PIECEの敵に見る権力の派生の仕方

 

 ONE PIECEに登場する敵たちは、とても研究のしがいがありそうだ。
 犯罪会社のバロックワークスは、国境に縛られない現代の多国籍企業のような存在だ。幹部社員同士は顔も知らないという秘密主義は、部署が違えば何のプロジェクトなのかすら知らされないアップルのようだ。アップルは、スティーブ・ジョブズの辣腕ぶりだけが喧伝されるが、アップルが本当に独創的な製品を作り続ける理由は、実はこの秘密主義で結合された組織の部分が大きい。互いにやっていることを知らないからこそレベルの高い競争が生まれるのだ。

 そして、日常は平凡な人間の皮を被り、裏で権力を組織して、恐怖政治を行う海賊執事のキャプテン・クロ。彼の権力の掌握の仕方は、姿を隠してクメールルージュを組織した、カンボジアの独裁者ポル・ポトを連想させる。

 個人的に気に入った権力の在り方は、物語の前半に出てくる敵の「半漁人アーロン族」と王の座を捨てて海賊化した「ワポル」である。

 前者は、半漁人という種族としての優位性を持ちながらも、世界中の海を海図としてマッピングすることで権力の座を得ようとする組織である。いわばGoogleがマップサービスをもって世界政府化していく様子に似ている。

 後者は、国中の医者を追放し、政府お抱えの20人の医師「イッシー20」を組織化するワポルという権力者が統治する島のお話。人々は、国に忠誠を誓わないと医者にもかかれないのだのだ。実社会の国民皆保険制度はセイフティネットと考えられているが、考えてみればこれは医療の国家的独占をもって行う統治である。そんな具合に権力の在り方をついつい考えさせられてしまう。

 ルフィたちが戦うのは、単なる敵のグループではなく、こうした権力の掌握術や組織論に一家言を持つリーダーが生み出した権力による構造物である。それを、権力を掌握しないリーダー(ルフィ)によってつくられた組織(ルフィ一味)が、次々と撃破する痛快さこそが、この物語の人気の最大の理由なのではないだろうか。

 ワンピースの作者、尾田栄一郎は、決して王道マンガ家ではない。むしろ、変態的までの権力マニアだ。権力の現れ方、人民の掌握術などをかぎつける才能がすごい。彼がマンガ家になったからワンピースは生まれたが、別の職業に進んでいたらと想像すると恐ろしくもある。権力を批判するジャーナリストになっていたかもしれないけど、恐ろしい独裁者にもなれるかもしれない。もしくは、ブラック企業の経営者とか。
 そう、話は変わるが、「ブラック企業」なんて言い方もされるように、実際の社会において、身近な人を縛り付ける権力の主体とは会社である。非正規社員だの派遣社員だのと、働く側にとっては都合の悪いあれこれが押しつけられ、いつの間にか望んでもいないのに、僕らは悪の海賊一味の下っ端のような存在になってしまっている。

 現代の会社員たちは、モチベーションのほとんどを「生活のため」という目的に向けて働いている。だからこそ、「目的のため」「仲間のため」というモチベーションで動く、自由なルフィたちにあこがれるのだろう。

 

■現代のゴーイングメリー号?

 

 ピースボートというものを知っているだろうか? 「それまでの生活を抜け出したい」「何かを変えたかった」「自分を見つめ直す」または「世界を平和にする」などという「目的」を持った若者たちが集まって船で旅をするのがピースボートである。言ってみればピースボートは、現実社会のゴーイングメリー号(ルフィたちの海賊船。途中で壊れる)だ。


 社会学者の古市憲寿は、このピースボートに搭乗した海賊の一人である(かなり弱そうではあるが)。彼の書いた『希望難民ご一行様』という本は、その航海記なのだが、そこでの観察によると、ピースボートに乗る若者たちは船の旅の途中で夢(目的)への関心が薄まっていくのだという。それは、船の中で過ごす仲間との時間の楽しさの方が優先されるからだ。

 乗船者の多くは、そこで得た仲間と、旅の後も関係を維持して、当初抱いていた「目的」を忘れて、意識が低いまま生きていくという。つまり、仲間といると楽しいという「共同性」が「目的性」を冷却してしまうのだ。

 だけど、それも悪くないじゃないかというのが、古市の主張である。現実の日本においては、富や権力をひとつなぎにする宝=ワンピースは、先行世代の中高年層に独占されている。そんな何も持たない世代にとっての唯一の有効な武器、というよりも生活インフラに近い存在が「仲間」である。

 すでに強者と呼ばれる海賊たちが「偉大なる航路」に進出する中、若くて経験のないルフィたちは、後続者としてあとからその海域に向かわざるを得ない。彼らが航路を突破するために使えるのは、仲間という武器だけ。その構図は、現代の若者と同じなのだ。

「仲間」が、現代社会でかつて以上に価値を持ち始めている。ワンピースが流行るのは、そんな社会の姿と関係しているのかもしれない。




初出:初出『新日本人論』(2013年12月刊 ヴィレッジブックス)

 

新・日本人論。

新・日本人論。

 

 

未来予測小説を読む。堺屋太一『平成三十年』

平成三十年 (上) (朝日文庫)

平成三十年 (下) (朝日文庫)

 何も変わらない未来を予測したフィクション。これほど希望のないディストピアが他にあるだろうか。
 例えば、小松左京の『日本沈没』では、未曾有の大災害に日本が巻き込まれる様が描かれた。日本人が一致団結して立ち向かうこの小説で小松は絶望の中での希望を描いた。だが、これから取り上げる小説『平成三十年』は、大災害や戦争といった大状況は描かれない。代わりに描かれるのは、何も起こらない近未来。平穏無事な20年を過ごした日本の未来とは一体いかなるものなのだろうか。
 主人公の木下和夫は、情報産業省に務める官僚である。43歳、妻と17歳の娘とともに東京の都心・青山の公務員宿舎で暮らしている。青山というと都心の商業地域及び高級住宅街のイメージが強いが、未来の青山は、「新虎赤青」と呼ばれるアジア系移民が多い地域になっている。ディスカウントストアやパチンコ店、風俗店なども存在している。
 情産官僚である和夫は、貿易に関する数字を付き合わせた会議に出席する。日々の会議の描写からは、日本経済の苦境が伝わってくる。
 日本は既に貿易赤字国になって久しい。資源価格が「資源危機」を期に高騰し、「品質過剰」な日本のものづくりは競争力を失ってしまったのだ。国内消費も落ち込んでいる。少子高齢化が進んだこと、さらに高い消費税率の煽りもあり、全体の消費が押し下げられてしまっている。
 日曜の朝、妻にはゴルフに行くと告げて家を出た和夫は、宿舎の玄関で携帯端末をコントロールして駐車場の車を呼び出す。「車の方が自動的に迎えに来る」仕組みになっている。車は駐車場の充電施設でプラグ充電も可能なハイブリッドカーである。和夫が向かった先は、両親の住む郊外のニュータウン。役所勤めゆえ忙しく、日頃両親に接する機会もないので、雨で中止になったゴルフの代わりに顔を見せに来たのである。
 両親が住む川崎インターからクルマで15分の郊外ニュータウンのマンションには、人や車の動きがない。父親は、ここが寂れてがらんどうの「元ニュータウン」になってしまったことをなげく。かつて懸命に働き、手に入れたマイホームだったが、いまはゴーストタウンに等しい。
 ここに描かれる日本は、現実の今の日本とほぼ変わらない世界である。実は、この小説が新聞連載されていたのは、1997年6月1日から1998年7月26日にかけて(単行本刊行は少し間を置いた2002年)。つまり本作は20年前に書かれた20年後、つまり現代を描いた近未来フィクションなのだ。
 当然、現代に生きる立場として、この小説の答え合わせをしたくなる。本作品の著者は、元通産官僚、経済企画庁長官も務めた堺屋太一である。堺屋の未来予測を当たり外れで論じるなら、かなりのところ当たっている。
 大きく外した部分は一箇所。長期デフレを予測していないところだ(小説内では、物価も賃金も3倍に上昇)。これは土台無茶な指摘。現在の20年デフレは、どんな経済学者でも予測はできない歴史的異常事態である。また、本書の予測のハズレを指摘したところで、それもまた小説の本質とは離れる。むしろ読み込むべきは、堺屋が踏み込んで書いた未来の細部である。
 この世界では、不況によって病院の倒産閉業が増えたため、その経営保護のため新規参入が厳しく規制されている。職にありつけない医者も多いが、医師は国家の元で庇護され補助金が与えられている。「医療減反」政策である。既得権化した医師の平均年齢は64歳。彼らは最新医療に対する理解もなく、新薬についての知識も持たない。国内の製薬業界は衰退してしまった。新薬を開発しても、医師たちがそれを購入しないためである。
 悪しき官僚制度、保護政策が産業を死に追い詰めようとしている社会。堺屋が描く近未来(2017〜2018年)とはそういう性質のもの。作者本人は「こうあってほしくないが、最もありそうな未来像」という呼び方をしている。つまりはディストピアである。
 あらためて、簡単にあらすじを説明しておく。主人公は、官僚の和夫だが物語の軸になるのはベンチャー企業出身の改革派大臣織田だ。織田が和夫ら優秀な官僚を巻き込み、日本的な官僚機構そのものにメスを入れる大改革に邁進する。
 織田の鶴の一声で誕生する官僚制度改革のための機構「日本改革会議」が発足する。ただそれを構成するメンバーの平均年齢は、70・3歳。ディストピア! この改革運動は、小説終盤に内側から崩壊していく。
 いちいちキッチュ(悪趣味)。そこが読みどころだ。
 例えば「パソエン」。「パソエン」は、カラオケの次に流行しているデジタルエンターテイメント機器として登場する。ヘッドホン型端末と全身の動きを読みとるセンサーを取り付け、有名スポーツ選手やフラメンコダンサーなどになりきる遊びだ。マスコミの目が光る近未来では、赤坂の料亭での芸者遊びなどはもってのほかになっており、官僚たちはこの「パソエン」接待を楽しんでいる。さらに「パソエン」は、日本の知的財産分野での輸出品目の筆頭商品でもある。
 もうひとつが「Jポスト」。郵便局は公社化され「Jポスト」という名になっている(民営化まではしていないので、現実が先行している)。過疎化が進んだ山間地域では、このJポストが、日常品の販売配達から宅配便まであらゆるユニバーサルサービスを請け負う。つまりは何でも屋。ただし、ここでで働く多くは高齢者。人々は高齢者に重いモノを持たせることにも慣れてしまっている。
 これら「パソエン」「Jポスト」のネーミング、さらには、この世界での人びと生活そのものまで含めてキッチュだ。官僚がパソエンに興じる様などは醜悪ですらある。
 この辺りが意図的な醜悪さ(風刺、批評性)なのか、そうではなく統計データに忠実な未来予測の結果なのか、判別は難しい。むしろ、その紙一重の部分こそがおもしろさだ。
 本小説は、決して”冴えた小説”ではない。描かれているのは、”冴えない国”の”冴えない未来”だ。それゆえ、現代のこの国のキッチュな戯画として成立しているのだ。

 

 初出:本の雑誌2018年

セナと聖子で一瞬だけ垣間見た丘の上の景色

 かつて日本が経済大国だったことは、すでに忘れられて久しい。しかし、この20年の停滞を迎える直前の日本は、世界と肩を並べる夢を見ることができる坂の上に一瞬だけ立っていたことがあった。
 太平洋戦争における敗戦の理由を「ものづくり」、もっと正確には生産技術にあることを思い知ったこの国のエンジニアたちは、戦後に生産管理の技術をアメリカに学び、日本は約30年の月日をかけて工業製品の分野で世界と肩を並べる存在となっていく。
 1970年代後半から、「日米貿易摩擦」「ジャパン・バッシング」の時代を迎える。日本の貿易における優位の理由を通貨にあるとしたアメリカは、日本に事実上の円高を引き受けさせた。1985年のプラザ合意である。それでも「メイド・イン・ジャパン」の侵攻は食い止められなかった。時の首相である中曽根康弘は「アメリカ製品を買いましょう」と、デパートで買い物をするパフォーマンスを披露した。当時の日本は、世界一の経済大国であるアメリカと肩を並べていると強く実感していた。
 そんな中で、日本企業は世界で影響力を持つ存在になっていた。
 `83年にF1復帰を果たしたホンダは、1980年代半ば以降のF1界をリードする存在となっていく。そして、1987年にアイルトン・セナ中嶋悟をドライバーに擁したロータスにエンジンを提供。そらに、翌年、セナがマクラーレンに移籍を果たすと同時に、ホンダはマクラーレンにエンジン提供を始め、あの栄光の「マクラーレン・ホンダ・セナ」体制が誕生するのだ。
 この頃の日本企業の奮闘を、いまの視点で振えると、おもしろい光景が見えてくる。
 ホンダと並ぶメイド・イン・ジャパンの雄であるソニーは、`88年にアメリカの大手であるCBSレコードを買収、翌年にはコロムビア・ピクチャーズを買収した。工業製品でのし上がったソニーは、ここに来てソフトウェアでの世界戦略へと路線を転向したのだ。
 この頃から世界経済をリードする存在が、工業から、サービスやエンターテインメント、そして金融へと転換しようとしていた。わかりやすく言うと、世界経済の中心は、ハードウェアからソフトウェアへと転換したのだ。
 この時代においてソニーは、日本発のソフトとして「SEIKO」を売り出しにかかる。そう、あの松田聖子だ。ソニーは、買収したCBSの所属グループの人気アイドル、ニューキッズ・オン・ザ・ブロックのメンバーでデュエットという抱き合わせを施した上で、アメリカ市場に売り込んだのだ。
 ナンバーワンのソフト企業になったからには、同国のトップ歌手の松田聖子を売り出したい。当然の期待である。日本で通用する歌手が、世界で通用する。そんな想いが、当時の日本人が見た夢だった。だが失敗。ソニーのソフトによる世界戦略は成功したが、日本人の歌手の発進という試みには敗れた。当時のソニーの躍進を支えた歌姫は、SEIKOではなく、マライア・キャリーが担うことになった。
 一方、同じように世界市場におけるホンダの試み、つまりF1という究極のモータースポーツの世界において成功を収めた。それもやはり日本人である中嶋悟ではなく、アイルトン・セナによって成し遂げられたものだった。
 「マクラーレン・ホンダ・セナ」体制の大成功は、日本が世界の高見に立てた瞬間である。セナは、日本が世界に肩を並べようとした時代の頂点で、オールジャパンの夢を背負ったヒーローだった。マイク・タイソンマイケル・ジョーダンは他国のスターだが、日本人にとってのセナは特別な存在だった。
 ただし、アイルトン・セナが見せてくれたその高見は「垣間見る」ことしかできないものでもあった。
 アクティブサスペンションという、コンピューターの制御によって車体の姿勢をコントロール技術が導入され、グランプリの勝利を握るのは、エンジン性能やドライバーの技術ではなく、コンピューターであるという時代がやってくるのだ。
 ホンダのF1撤退、そしてセナ時代の終わりは、こうしたソフトウェア時代の到来とともに訪れた。
 セナがF1の舞台で活躍した1987〜1994年は、日本では、バブル経済の時期、そしてそれが崩壊したが、まだ日本が経済大国であると人々が信じられていた時期に当たる。
 セナが死んだ翌年の1995年、日本は阪神淡路大震災オウム真理教による地下鉄サリン事件という大規模テロ事件に直面し、「これまでどおりにはいかない」ということを突きつけられる。デフレに突入し、本格的な長い不況が始まるのは、この直後のこと。
 「マクラーレン・ホンダ・セナ」の全盛期である1988、89年の日本の1人当たりのGDPランキングは、世界3位にイチしていた。その後、2000年代以降、10位以下を低迷することになる。
 さて現代。世界一の販売台数を誇る自動車メーカーは日本に存在する。サッカーでも野球でも、日本人が世界の一流チームで当たり前に活躍する時代。経済大国としてのプレゼンスを失う一方で、日本は個別の戦いで勝利を収められる国になった。世界は、かつてよりも複雑になった。そして、日本が世界と肩を並べることに、誰も夢をみなくなったのだ。(加筆)

 

初出:『Number』2014年5月 アイルトン・セナ特集

 

 

女性とメンソールタバコ

 メンソールタバコは大人の女性のもの。そんなイメージは、どこで生まれたのだろう。
 とんねるずの『歌謡曲』(作詞:秋元康)では♪メンソールの長い煙草を ため息で吸いながら 水割りのグラスの中に 落としたおまえの涙♪と、夜、大人、銀座のイメージが歌われる。
 中原めいこの『君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね』(作詞:森雪之丞)は、♪ドライなシェリー ちょいと誘われて 灼けつく恋の食前酒♪という大人と南国の香りのする歌。2番の歌詞は、♪煙草は薄荷(メンソール) 火を貸しただけ♪となる。
 実は、メンソール=女性のイメージが生まれたのは、ウーマンリブ運動の時代のこと。米のフィリップモリス社の新製品バージニアスリムは、スリムなフォルム、健康的なフィルター、メンソールの風味と、女性向けに開発された商品。広告コピーには“You’ve Come A Long Way,Baby!(長い道のりだったね)”とうたわれた。つまり、長く続いたタバコは男性のものという時代の終わりを宣言したのだ。この宣伝で、10代女性の喫煙率は2倍に拡大した。
 日本にバージニアスリムが入ってくるのも、女性の社会進出が進んだ`80年代。やはり、社会で活躍する女性を前面に出したCMが流れていた。
 だが、日本でもたばこのCMが自粛されるようになって久しい。この間に喫煙者のイメージも変化した。所得が低いほど喫煙率が高いという新聞記事が話題になった。年収600万円以上の女性では、6・4パーセントの喫煙率が、200万円未満だと、11・7パーセントに跳ね上がるという(読売新聞2月1日)。
 いまや喫煙は、むしろ仕事ができる女のイメージから遠ざかりつつある。

 

君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。 [EPレコード 7inch]

君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。 [EPレコード 7inch]

 

 

東京砂漠のマンション興隆記

 最近、ダイアパレスのCMを見る機会がない。こんなCMだった。場所は夜の屋上。超高層ビル群を背景に、3人のサラリーマンがバスケットボールをしている。音楽は、内山田洋とクール・ファイブの『東京砂漠』。


CM ダイア建設 ダイアパレス 東京砂漠


 シチュエーションは変わっても、CMソングは、約20年間変わらなかった。記憶の限りでは、2000年頃まではオンエアーされていたはずである。
 まったくおしゃれではないが、都会特有のうらさびしさを表現していた名CMだった。♪あなたの傍で ああ 暮らせるならば つらくはないわ この東京砂漠♪という歌も、これ以上なくマッチしていた。
 `60年代はまだマンションとは富裕層が住む場所だった。それが、一般の給与所得者にも手に入るようになるのは、`70年代末以降のこと。ライオンズマンションの大京ら新規デベロッパーが流入し、マンションの大量供給が始まった。超長期低金利の住宅ローンが普及したのもこの頃のこと。物価上昇に助けられ、同時に給料が上がっていく中で気軽にローンも組めた。一億総マンション時代。
 ダイアパレスはまさに、このマンションブームの波に乗って成長した企業である。

 バブル期の東京の都心には、多くのマンションが建てられたような印象があるが、実は勘違いだ。東京のマンション供給戸数は80年代前半は3万戸で推移。バブル期には2万個台まで落ち込む。都心部はオフィス需要が高まったが、規制などでそうおいそれとオフィスビルを建てることも適わなかった。投機に向いたワンルームマンションも売り出されたが、あまりに高騰が早すぎて、一般庶民には手が届かなかった。

マンション供給戸数はその後、`95年より再び上昇し、以後は`06年まで供給戸数は右肩上がりに成長する。この新マンションの供給が、つまりは湾岸のタワーマンションを生み出す。規制緩和に伴うマンションの供給増で地価が抑えられ安定すると、人々はマンションを次々購入し、再び都心に人々が戻ってきたのだ。
ダイア建設も経営が傾き、`08年に民事再生法の適用を申請。大和地所の子会社となった。その後も新CMを展開しているようだが、すでに『東京砂漠』は使われていない。いい曲なのにね。

ユーミンとコンテナリゼーション

 荒井由実の`74年のアルバム『MISSLIM』の収録曲『海を見ていた午後』には、実在するレストランが登場する。

♪山手のドルフィンは 静かなレストラン 晴れた午後には 遠く三浦岬も見える♪(作詞:荒井由実

 このレストランは、眼下に横浜港が一望できる、いわゆる山手の丘の中腹の見晴らしのいい場所に位置する。

ソーダ水の中を 貨物船がとおる 小さなアワも恋のように消えていった♪

 消えてしまったヒロインの恋は、ここではどうでもいい。注目すべきは貨物船だ。当時の横浜港は、世界的な物流革命の真っ只中にいた。

 20世紀の半ばに登場した物流の効率化のために生まれた箱であるコンテナが、真にその価値を示すのは`60年代末から`70年代にかけて。きっかけはベトナム戦争だ。大規模な戦闘員をベトナムに送り込んだアメリカは、多量の物資搬送の必要に迫られる。米軍は、この戦争には負けたが、新しい物資輸送の手法をものにしたのだ。

 決め手はコンテナサイズの共通化。それまでサイズがバラバラだったコンテナだが、この機に、20、40フィートと規格が定められる。それにあわせてコンテナ、コンテナ船、運搬用列車やトレーラーが作られていく。貿易港も、コンテナに特化したクレーンや倉庫が発展の決め手となった。コンテナの規格化が世界を変えた。

 古くから貿易港として発展してきた横浜港も、コンテナ化に乗り出すことで、貿易の拠点としての世界的地位を築いていく。だが昨今は、中国やシンガポールの発展に伴い、コンテナ港としてのプレゼンスは低くなってしまった。2016年のコンテナ取扱量の世界ランキングでは、東京や神戸よりも下である。

 コンテナによる物流革命を“コンテナリゼーション”と呼ぶ。恋愛ソングの神様と呼ばれるユーミンだが、この歌では図らずも海運業界の世界的変化の時代の皮切りを描いていたのだ。

 

コンテナ物語

コンテナ物語

 

 

 

 

 

 

 

ベータ対VHS代理戦争

 今からだともう40年近く前にベータとVHSというビデオの規格を巡る争いがあった。ベータを推奨するソニーと、VHSのビクター&パナソニック。両陣営は、10年以上に及ぶ長い争いを繰り広げることになった。

 競争の明暗がまだはっきりしていない`84年、ソニーのベータのCMに松田聖子が、ビクターのVHSのCMに石原真理子(当時)が出演していた。当時の石原は、男たちの憧れを背負う“いい女”の筆頭だった。アイドルとしてまだトップにいた聖子に比べても、決して引けをとってはいない。ベータ対VHSという両規格を巡る陣営争いは、この時期ブリッコとブッツンという`80年代を代表する女2人の代理戦争でもあった。

 勝負の明暗がはっきりするのは、この3、4年後のことだった。デッキの普及台数で差がつき始め、あれよあれよという間にレンタル店の店頭からベータのソフトは消えていった。一方、聖子は1985年の結婚を機に休業。翌年に出産も行い、その後には海外進出に備えての海外移住を果たし、日本の表舞台に姿を見せなくなる。

 一方、石原はどうなったか? 当時、既婚者だった安全地帯の玉置浩二との不倫が発覚。“たまたま好きになった人が妻子持ちだった”という発言が話題を呼んだ。ちなみに、石原のビクターのCMでは、安全地帯の『yのテンション』がCM曲に使われていた。この不倫で石原への世間の風当たりは強くなり、石原は芸能界の一線から退いていく。

 争いを終えた現代の目線から見るとデファクトスタンダードの座を勝ち得たのは、β陣営、ソニーのCMに出ていた側の聖子である。一方、VHSの石原は、その後、暴露本を刊行、玉置との寄りを戻すなどで世間を賑わしたが、その後は怪しいブログを書く人として、半ば忘れられつつある。多くは語らない。


 VHSの時代すら遠くなりつつある現在において、`80年代はさらに遠くなりつつあるという想いだけが僕らをやるせなくする。