Atariとスピルバーグ

アタリショックとは?

先日スピルバーグの『レディ・プレイヤー1』を観た。

これには前もってAtariのゲームの知識が必要になるのだが、僕の場合は、たまたま『アタリ:ゲームオーバー』(2014年)というドキュメンタリー映画を観ていたので少し複雑なことになった。この映画実は、ちょっと前まで、Netflixで見られた。

ATARIは、1970年代を席巻したアメリカのビデオゲーム会社。だが彼らがAtari2600で築いた家庭用ゲーム市場は、1本の伝説的”クソゲー”によって崩壊してしまう。これが世に知られる「アタリ・ショック」である。ネットの世界には「アタリ・ショック」ポリスも少なくないため要注意の用語である。細かくいうといろいろあるくらいにとどめておく。

当時のゲームの小売店は、売れずにもてあました有名映画の便乗ゲームを店頭でたたき売りした。それによってアタリのゲーム全体の魅力が失われ、それを機に市場そのものが崩壊した。話題の大作が空滑りすることはゲームではよくある。

伝説的クソゲースピルバーグお墨付き

さて、その伝説的なまでに売れ残ったビッグタイトルとは、『E.T.』。スピルバーグを代表するあの映画だ。便乗商品とは言え公式にライセンスを取得したゲームソフトで、一応スピルバーグ自身も確認してお墨付きを与えている場面が映画でも使われている。

レディ・プレイヤー1』では、1970〜1980年代のゲームへのオマージュがたくさん登場し、Atari2600用のゲームが世界を救う重要な鍵となる。どのゲームタイトルにキーが隠されているかをこの世界の住民たちは探る。観ている側としては、これは『E.T.』と勘繰ってしまう。まあ実際に、『ET』のゲームの存在はまるごとスルーされるのだが。

映画『アタリ:ゲームオーバー』では、このゲーム版『E.T.』がいかに出来損ないだったかが検証される。自キャラのE.T.を動かして敵に捕まらないように宇宙船の部品を集めていく内容。敵に捕まると蟻地獄のような穴に落ち、その度に穴から這い出す単調な作業を繰り返えさないといけない。

オールドゲームマニアたちの手のひら返し

一方、物語が進と、埋められた場所も特定される。『E.T.』のゲームが大量廃棄されたであろう場所では大がかりな発掘が進む。それお、聞きつけたゲームマニアたちも見物するために集まってくる。ついでに『E.T.』のゲーム開発者ハワード・スコット・ウォーショウもかけつける。彼は現在は心理療法士として生きている。伝説のクソゲーの制作者のレッテルが張られ、ゲーム業界にはいずらかったのだ。

『アタリ:ゲームオーバー』のエンディングは涙なしでは観られない。集まったゲームファンたちは、クソゲーである『E.T.』への愛情を語り始める。「内容はともかく志は高いゲームだった」「そもそも6週間の開発期間でいいゲームはつくれなった。仕方ない」「アタリがだめになったのは『E.T.』だけのせいじゃなかった」といった具合。当時のアタリの他のゲームだって結構ひどかったのだ。誰かひとりが悪かったという話じゃない。「アタリ・ショック」というゲーム全体を覆っていた呪いが、30年の月日を経て成仏した瞬間である。いい映画だった。

スピルバーグは1980年代のゲームへのオマージュ映画を作りながら、アタリの『E.T.』をスルーした事実について、何かコメントをすべきだと思うけど。